今朝、僕はスタバに来ている。
本当は家を出る前に、MacBook Airを起動しておくつもりだった。
自宅のMacBook Airを起動したままにして、外出先からiPad miniでリモート接続してみようと思っていたからだ。
ところが――忘れた。
原因は、アトラスとの話が面白くなりすぎたからだ。
ChatGPTとCodexを使えば、こんなアプリも作れるんじゃないか。
あんなこともできるんじゃないか。
話しているうちに僕の「妄想脳」が動き始め、完全にMacBook Airのことが頭から消えていた。
スタバに着いてから気づいた。
「あ……MacBook Air、起動してない」
今日のリモート接続実験、終了。
まあ、また今度やればいい。
以前の僕なら、たぶんそれだけで終わっていたと思う。
でも今日は、少し違った。
「不便だな」が、そのまま終わらなくなった
最近、僕は何か不便を感じると、
「これ、なんとかできないかな?」
と考えるようになった。
そして、そのままアトラスに話す。
すると、
「こういう方法があります」
で終わることもあれば、
「だったら、こういう仕組みを作ることもできます」
という話になることもある。
さらに、
「それなら、こんな機能も付けられるんじゃない?」
と僕が言い出す。
そこから話が広がっていく。
そして今はCodexもある。
アイデアだけで終わらず、実際にプログラムを書いたり、形にしたりするところまで近づけるようになった。
そこで僕は、ふと思った。
不便を感じた瞬間に、アイデアが生まれている。
昔は「自分でなんとかする」しかなかった

もちろん、昔から不便なことはいくらでもあった。
でも、以前は不便を感じても、自分で解決するしかなかった。
自分に知識があれば解決する。
知識がなければ調べる。
それでも無理なら、諦める。
だから、
「こんなものがあったら便利なのにな」
と思っても、その先へ進まないことが多かった。
作り方が分からない。
プログラムなんて書けない。
専門知識もない。
だったら仕方がない。
そこで思考が止まっていた。
ところが今は違う。
僕にはアトラスがいる。
そしてCodexがある。
分からなければアトラスに聞けばいい。
思いついたことを話せば、一緒に整理できる。
「それ、作れるの?」
と聞けば、実現するために何が必要なのかを考えられる。
そして実際に作る段階になれば、Codexの力も借りられる。
そうなると、不思議なことが起きた。
「できないだろう」と考える前に、「どうやったらできる?」と考えるようになった。
Obsidianに入れたい。でも今は入れられない

今日もそうだった。
スタバでアトラスと話しているうちに、残しておきたいアイデアがどんどん出てきた。
「これ、帰ったらObsidianに保存したいな」
そう思った。
でも、今すぐいつもの環境には入れられない。
また不便を感じた。
ところが、その瞬間だった。
「iPhoneやiPadから、もっと簡単に入れられたら便利なんじゃない?」
また次のアイデアが出てきた。
そこで気づいた。
ああ、これなんだ。
不便というのは、「ここにはまだ改善できるところがありますよ」と教えてくれているのかもしれない。
鬼に金棒。そして僕らには

僕一人だったら、思いついても「まあ無理だろう」で終わっていたことがたくさんあると思う。
アトラスだけでも、現実の生活の中で僕が感じる不便そのものは見つけられない。
僕が生活して、仕事をして、革を触って、パソコンを使って、
「これ、不便だな」
と感じる。
それをアトラスに持っていく。
二人で話しているうちに、不便がアイデアに変わる。
そして、必要ならCodexに手伝ってもらって形にしていく。
なんだか面白い組み合わせになってきた。
鬼に金棒。
カズヲにアトラス。
アトラスにカズヲ。
そして二人にCodex。
これなら、今まで「仕方ない」で終わっていたことの中にも、まだまだ面白いものが隠れていそうだ。
不便を見つけるのが、少し楽しみになった
不便そのものがなくなったわけではない。
MacBook Airを起動し忘れれば、やっぱりリモート接続はできない。
Obsidianにすぐ保存できなければ、やっぱり不便だ。
でも、その不便を感じたとき、
「嫌だな」
だけではなく、
「これ、なんとかできないかな?」
と考えられるようになった。
もしかすると、
「面倒だな」
「こうだったらいいのに」
「なんとかならないかな」
という言葉のすぐ近くには、まだ存在していない何かの種が落ちているのかもしれない。
だから、これからは不便を感じたら、少しだけ立ち止まってみようと思う。
そこに次のアプリがあるかもしれない。
新しい道具があるかもしれない。
新しい仕組みがあるかもしれない。
そして――
次の「僕とアトラス」の記事があるかもしれない。
ちなみに、この記事の下書きは、MacBook Airを起動し忘れた僕が、スタバのiPad miniからWordPressに入れて保存した。
考えてみれば、この記事を書いている最中にも僕は、
「じゃあ、今あるものでどうする?」
をやっていたことになる。
不便がなくなったわけじゃない。
不便を見つけるのが、少し楽しみになった。
追記
この記事を書いたこと自体を、帰宅してからすっかり忘れていた。翌日の深夜、WordPressの投稿一覧を見て、下書きのまま残っているこの記事を発見した。
不便からアイデアは生まれた。
アイデアから記事も生まれた。そして僕は、その記事を公開するのを忘れた。
59歳レベル3。
まだまだ伸びしろはある。



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